ブラック企業体験記〜Vol.1 新卒入社ハウスメーカー編〜

ブラック企業
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今の会社もしかしてブラック企業?

ブラック企業から抜け出せない・・

ブラック企業への転職はもう避けたい・・

労務環境の改善が叫ばれるようになった中で、ブラック企業の烙印が押されないよう働き方を変えている企業がだんだん多くなっている。しかし、今も労働時間や休日の整備が進まない企業はまだまだ数多い。

今はキャリアアドバイザーとして転職のサポートをすしているものの、20代のころ新卒3年間はブラック企業と呼べるであろう企業を転々とし、キャリアを汚した。その時の経験は今でも大きな糧となってるけどね。

今ブラック企業で苦しんでいる人や、ブラック企業を何とか抜け出したいという人の反面教師になればと思い、ブラック企業脱出までの体験記をつらつらお伝えしていこうと思う。

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ブラック企業体験記〜Vol.1 新卒入社ハウスメーカー編〜

最初は実家から通える地元のハウスメーカーに営業として入社した。学生の頃の就活も適当にやって何となく受かっただけの入社理由。人とのコミュニケーションは円滑にやれる自信があったし、何となく大きいものを売りたいという理由で志望しただけ。
ここの勤務環境はひどかった。

学生の時に説明会に行ったり、選考を受けたりする中で、すごく洗練された会社という印象を受けた住宅メーカー。
当時のブラックぶりはこちら。

①6日連続21時間勤務
②睡眠は毎日ほぼ1時間
③社員の人間性がひどい

ブラック企業あるあるエピソード①:6日連続の21時間勤務のブラックぶり

朝6時半出社、帰宅は翌日朝4時。そんな毎日が3ヶ月続いた。
最長で21時間勤務が6日間続いた。タイムカードは毎日18時半で切らされた。
当時20代前半だったとはいえそんな状態が続けばさすがに体力が持たなかった。

遊んでる21時間と、新入社員で緊張感を持って過ごす21時間では疲れ方の種類も違う。
先輩社員よりも先に出社し事務所の鍵を開けるのが一番最初の仕事だった。
一番早い先輩は7時には出社するからそれまでに必ず鍵を開けないといけない。

一日の主な仕事は、昼間はモデルルームの掃除や案内のロープレ、しかも新入社員は毎日離れた場所にあるモデルルームに飛ばされそこで一斉に研修をしていた。モデルルームは車で最大2時間かかる場所にもあった。運悪くそこに行かされる割合が結構多く、しかも自車で行って交通費も出ないという有様。

夜事務所のデスクに戻ると、先輩営業の抱える図面やプラン作成のサポート業務が机の上に山のように積まれていた。本当にその書類の山を見ると毎日絶望感に駆られた。
先輩は見積もりとかお金に関するところだけを自分でさっとやると、
あとの間取りなどの図面を作ったりすることは僕やそのほかの新入社員に投げた。

「明日の○時まで」みたいな書き置きを次々にし、そそくさと帰って行った。
それが毎年その会社の通例だったようだ。

逆にいうとある程度続けて仕事を覚えればまた新入社員が入ってくるからそこからは脱出できる見通しはあった。しかし、それがずっと続く会社ではさすがに働けなかった。

ブラック企業あるあるエピソード②:睡眠は毎日1時間

そんな勤務環境で仕事をしていると、もはや家はある意味がなかった。
朝方帰ってとりあえず帰ってシャワーをして1時間睡眠。家を6時には出る。
飯を食う暇もなかったから、移動中とかにコンビニでおにぎりとかサンドイッチとか
かじり易いものを食べて毎日過ごしていた。

着替えとシャワーと1時間の睡眠で2時間くらいしか滞在しない。
学生時代はこれでもかというくらい朝まで遊んだけど、
そんなものとは比べものにならないくらいに心身疲労が蓄積した。

さすがに友達や家族にも心配されているのがわかった。
でも新卒入社した会社をすぐに辞めて何か身になるのかというのが頭の中にあった。

もう少し何か成果を残すまではやり続けないといけない!
そんな全く不必要な責任感を持っていた。
入社して1ヶ月目、2ヶ月目はそんな葛藤を抱えながらずっと過ごしていた。

ブラック企業あるあるエピソード③:社員の人間性がひどい

同期が20人いたけど、何とか一番になりたい思いは持っていた。
だから研修やロープレも真剣にやっていたし、成果を出してる先輩には積極的に質問したり、
仕事のやり方を盗んだり、そんな環境の中でも成長意欲は持っていた。

しかし、入社3ヶ月目の6月のある日、事件は起こった。
いつものように平日の昼間にモデルルームでお客様が来た時にスムーズに案内できるようロープレをやっていた。

するとある一組の夫婦がモデルルームにやって来た。
その時に先輩社員は全員出払っていて自分だけしかいなかった。
これは今しかないと思い、日々のロープレの成果を生かすべく丁寧に会話をしながら案内をした。
プランや見積もりも先輩のサポート業務である程度作り方は把握していたから、
モデルルームを案内してから事務所でお茶を出して数パターンのプランを出した。

その日はとりあえず帰ってもらって上司にもその報告はしておいた。
するとその次の週にまたその夫婦がやって来て、もう1社考えている住宅メーカーがあるとのことだったけど、
「先週出してもらったプランで具体的に詰めて話を進めたい」と言われた。

当然まだお客さんがついてる同期もいなかったし、ここで一気に初めての成果を出せるチャンスが巡って来た。
上司に確認して、僕が間取りのプラン、見積もり、資金計画までやらせてもらえることになった。

その夫婦は比較的決断力と行動力のある夫婦でそれから2週間のやり取りを経て、間取り、見積もり、ローン融資の内容が詰まった。
いよいよ契約の時、契約時だけは先輩との同席を命じられたので3年目の先輩に同席してもらった。
契約は無事済んで、初めて住宅を1棟成約をいただいた。

問題はそこから。その契約が同席した先輩の数字になった
まじ意味がわからなかった。
理由を聞いても契約時に案内した人の数字になるという理解不能な理由を突きつけられた。

後の祭りかもわからないが、その先輩は僕から見て明らかに仕事ができる先輩ではなかった。
喋りがそれほど上手いわけでもなかったし、彼のお客さんとの商談を見ていると回りくどくてイライラしてくる感じのタイプ。

そんな先輩に成果を横取りされた僕はたまったもんじゃない。上司や部長になだめられたが、一気にモチベーションは急降下。意味のわからない長時間労働も成果を出すためと思って耐えて来たけど、それからはその思いも無くなって、目標がなくなった。

もう一回その経験を糧に頑張るという考え方もあるけど、どうしてもそういう環境が耐えれなかった。普通、新入社員がそんだけ頑張ってたら上司の奴らも普通新入社員に華を持たせるもんだと思う。上司の奴らは上司ヅラしてるくせに肝心なところで部下を守れない無能な奴らばかりだと悟って辞めることを決意した。こんなところで続けていたら自分もそうなってしまいそうだったしね。

次の転職先も決めないまま新卒入社3ヶ月で退職を決意した。履歴書を即汚すようなことになってしまったけど、まだ若いし活躍できるところなんていくらでもあるだろうという転職に関する安易な考えもあった。

社員が全く続かないブラック企業あるある ~そして誰もいなくなった~

すると、同じ時期にたまたま同期20人のうち5人が退職することになった。
拠点が多くあったのでみんな一緒の支店で働いていたわけではなかったけど彼らも各々辛い日々を送っていたようだった。
あとで彼らと話すと、やはり同じような勤務環境の中で体を壊した奴もいた。

後に聞いた話だと20人の同期のうち1年後に残っていたのは何と3人。
新入社員の離職率85%という驚異的な数字だった。もはや15年以上経った今に至っては誰も残っていない。ここだけは辞めて正解だった。
3ヶ月しか在籍しなかったが、こんなところで働いていたらいろんな意味で人間としてクズになっていたと思う。

しかし、僕のブラック企業の歴史はまだまだ続く・・・
とりあえず疲れてきたので今日はここまで。
次回に続く。