就活に失敗しブラック地獄にハマった大学生③

ブラック企業
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さて、続きを更新するのをすっかり忘れていた・・

自分にベクトルの向かない就職活動が幕を開けた話で前回終わったと思う。

今振り返ると当時の自分の就活は全く一貫性のないただのお遊びだった
と言っても過言じゃないかも分からない。

今10年以上経った今、
みんなに就職活動を教えていることからは
想像もつかない酷いものだった。

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その後のブラック地獄など予想だにしない体裁だけの就活

まず僕の学生時代の就活を一言で表すならこれに尽きる。

「体裁を保つ就活」。

自分の為の就活ではなく、社会の中での一定の評価や
周りの人に対しての最低限の体裁を保つ為の就活だ。

もはや誰の為の就活か全く分からない。
業界研究や仕事研究もほとんどしなかった。

ただ一つ興味があったのはインテリアだ。
僕は当時家具やインテリアが好きだった。
ヨーロッパのデザイナーの家具を買ったり、本を読んだりするうちに、
インテリアコーディネーターの勉強を少ししていた。

なので他の業界に比べると建築やインテリア業界は若干興味が大きかった。

でも建築やインテリアに絞っているわけではなく、
海運、運送、ホテル、商社、旅行・・・いくつかエントリーはしてみた。

そして誰とでも話せると言う理由で
営業は絶対にできるといううぬぼれに近い変な自信があった。

いくつか受けてみたがモチベーションはそれほど上がる事はなく当時愛知に住んでいた僕は、
選考で東京やら大阪やらに行くのも面倒くさくなってきた。

なのでもう近くの会社でいいやという軽い気持ちで地元の会社を探すようになった。
もはや「適当」という言葉が当時の僕には文字通り適当だった。

ブラック企業の地獄へのスタートは活動1ヶ月で手にした内定から

そんな中、地元の住宅会社から意表をついた内定が出た。

正直驚いた。

面接は2次まであると認識していたのに1次で専務と面接した後に内定通知が来たからだ。

「就活ってなんて楽で簡単だったんだろう!」
「やっぱ、オレまあまあ影響力あるんだ!」

そんな感覚だ。

その会社自体もけっこうな速さで成長していて、地元でも多くの人が知る会社だ。
自社ビルの社屋も清潔感があって立派な佇まい、周囲のイメージも悪くない。

家からも通えるだろうし、少しは興味のある住宅・インテリア関連だし、程よく仕事できそうだな〜なんて思った。
そんな内定を手にしたのが4年生の11月頃。

4年生の9月頃に重い腰を上げてスタートして正味1ヶ月程で真剣に取り組むんだわけでもない就活を終えた。
周りの友達では3年生の時から真剣に取り組んでいながら未だに内定の出ない子もいた。

そんな子を横目にするたび、少しの同情と、自分へのうぬぼれが湧いた感覚だった。
今考えると当時の自分をぶん殴ってやりたい。

後にこのいい加減な就活が大きな落とし穴になったことは言うまでもない。

社会人となってからのストーリーへつづく・・